大判例

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大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)536号 判決 1969年1月06日

原告(被控訴人)

楢崎一二

外一名

代理人

村井禄楼

被告(控訴人)

右代表者

法務大臣

西郷吉之助

右指定代理人

広木重喜

外四名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は被告の負担とする。

事実

第一、原判決主文と当審における当事者の申立

(原判決主文)

被告は原告楢崎一二に対し、金三〇四万二、一八六円および内金二二六万八、八九六円に対する昭和三四年九月一二日から、内金一一万三、六三〇円に対する同三六年七月一日から、内金一万一、一六〇円に対する同三七年四月一日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告楢崎隆之に対し、金一万三、九〇〇円およびこれに対する昭和三四年九月一二日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告楢崎一二のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五〇分し、その一を原告楢崎一二の負担とし、その余を被告の負担とする。

(被告の申立)

原判決中被告敗訴部分を取消す。

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも原告らの負担とする。

(原告らの申立)

本件控訴を棄却する。

控訴費用は被告の負担とする。

<事実略>

理由

一、当裁判所も、原告らの請求を原判決の認容した限度において正当と判断するものであつて、その理由は次に記載するほか、原判決の理由と同一である。

<中略>

同法二五条にいう「狭い水道」とは、二隻の動力船が相会した場合、本案以外の同法所定の一般航法により行動するときは、衝突その他の事故発生の危険があつて、到底自由かつ安全に替り行くことが困難であるが、各船が互にその進行方向に面して右側を航行すれば、その危険を著しく緩和する程度に狭隘な場所を指称するものと解すべきである。そして、特定の水域においてその範囲を決定するには、その水域の幅が狭隘であることのほか、船舶交通量、通行船舶の態様、潮流、気象、海象等操船に影響するあらゆる要素を考慮すべきであるが、船舶環境は時代とともに進化発達しているので、その範囲は固定的でなく流動的に解釈すべきものというべく、要は、その時代において具体的地点が予防法に「狭い水道」として要請される地点として認めるのが適当であるかどうかによつて決するのほかない。また、同法二五条の趣旨によると、「狭い水道」に入り、または出て行く船が安全に替り行くためには、これに隣接する相当の範囲のその入口(出口)附近においても右側航行の義務が課せられているものと解すべきである。

そこで、明石海峡において予防法二五条を適用すべき範囲を考えるに、原告らは、その東限界を平磯灯標と淡路島鵜崎を結ぶ線であると主張し、被告は前記二つの推せん航路の交点(分岐点)を通り推せん航路に直角に交わる線であると主張するところ、<証拠>に鑑定人本郷寿茂、同中島保司の各鑑定の結果を総合すると、次のような事実が認められる。

(1)、鑑定人本郷寿茂は、明石海峡における「狭い水道」の範囲を、岩屋灯台より三〇〇度半六〇〇メートルの地点から四二度に引いた線と江崎灯台より二五五度五二〇メートルの地点から三四七度に引いた線内であると鑑定し、鑑定人中島保司は、岩屋灯台と舞子の青色暮屋を結んだ線と淡路島北方航空灯台と明石川口を結んだ線内であるとし、さらにその両外側に隣接する一定の区域に「入口附近」なる水域を設定し、東側におけるそれは岩屋灯台と平磯灯標を結んだ線との間である旨鑑定している。

(2)、「狭い水道」の要件の一つである水道の幅員については、最大幅二海里をもつて世界的標準とされており、我が国の学説においても同様であるが、それは多分に、一八八一年(明治一五年)一一月三〇日イタリーのメッシナ海峡で発生した衝突事故につき、英国枢密院司法委員会が第二審として、航路筋の幅二海里弱である同海峡を「狭い水道」であると認定した判例に依拠していることが認められ、また、右両鑑定の結果も、可航水域の幅が約二海里にあたる場所をもつて「狭い水道」の限界線としたことが明らかであるが、他面、右英国判例から本件事故当時までの七十数年間において我が国のみならず世界において船舶の量・型・速力等が著しく増大・発達をみたことは公知の事実である。

(3)、明石海峡は、海上交通がますます激しくなり、通行船舶も大型化・高速化し、潮流も上げ潮下げ潮の区別なく常時強潮流を伴い、最高流速は平均約六海里、場所により八ないし九海里を示し、上昇渦流もあり、この潮流の激しさは海峡の中央部のみならず可成り東西に拡がつており、東側においても前示両鑑定結果の各「東限界線」よりさらに東にまで及んでいる。

(4)、本件事故後ではあるが、昭和三九年一二月社団法人神戸海難防止研究会は運輸省に対し「特定水域航行令」の一部改正に関して、明石海峡は右のように潮流が激しく、一日の通船量も一、五〇〇隻に達し、予防法に定める航法・信号を守つてもなお海難防止は不十分であるとし、事故防止のため、東は淡路島の鵜崎と神戸の一の谷を結んだ線、西は淡路島の江崎と明石港を結んだ線内の長さ六、〇〇〇メートル、幅二、〇〇〇メートルの海面を新しく「特定水域」に指定する必要がある旨答申し、続いて翌四〇年一月神戸海上保安部も神戸海運局に対し、東は鵜崎から神戸東北東に引いた線と西は岩屋航空灯台から明石へ北北西に引いた線の海域内で明石・岩屋港域を除いた海面全部に「特定水域」を設定するべきであるとの意見を振出し、昭和四三年二月には、前記神戸海難防止研究会が第五管区海上保安本部に対し、明石海峡に、航路側線として一二〇度(三〇〇度)線の左右各七五〇メートル、二四七度(六七度)線の左右各八〇〇メートル、航路入口線として東は平磯灯標と鵜崎を結んだ線、西は江崎灯台とセメント磯前導標を結んだ線によつて囲まれた水域に航路を設定し、同航路の通行を規整すべきであるとの要望を提出した。

以上の事実が認められる。

右認定事実と前示認定の衝突地点を通る両対岸間の距離が当事者間に争いのない2.3海里であることを合せ考えると、右本件衝突地点は予防法二五条にいう「狭い水道」の範囲内にあるものと認めるのが相当である。仮りに本件衝突地点が被告主張の地点であるとしても、その地点は、右認定の衝突地点から東側に0.5海里離れている(前記両推せん航路の交点から右認定衝突地点までの距離が0.3海里、同じく右被告主張地点までの距離が0.8海里であることが当事者間に争いないことから窺える)に過ぎないと認められ、かつ、この点を通る両対岸間の最短距離が当事者間に争いのない2.5海里であることに鑑みると、被告主張の衝突地点も「狭い水道」の範囲内にあるものと認めうる余地があり、たとえそうでなくても、「狭い水道」に隣接する前示右側航行義務の課せられた「入口附近」内にあるものと認めるのが相当である。

してみると、本件衝突の原因は、前に認定したように、ビレオ号を操縦していたクラーク少尉が明石海峡を東口から進入するにあたり、予防法二五条にいう「狭い水道」の範囲に隣接する入口附近において、同条の規定に違反して航路筋の左側を就航し、衝突前彼我の距離約九〇〇メートルの位置に右「狭い水道」を東航して来る新栄丸の緑灯を認めたが、他船は前路を右方に横切る態勢でその方位がほとんど変らないまま接近したのにかかわらず、速かに航路筋の右側(適法側)に進出するか、または、新栄丸の進路を妨害しないよう適切な措置を執ることなく漫然続航し、しかも他船と四〇〇メートルに接近して衝突の危険を感じ突如左転し(その時右側に進出することが安全かつ実行に適しない事情があつたとの主張立証はない)、他船の前面に進出した不当運航に起因するものといわざるをえない。なお、鑑定人中島保司の鑑定の結果によると、ビレオ号は、明石海峡のわん曲した「狭い水道」に左転して入航しようとする場合であつて、しかも進路前方には推せん航路が分岐しているため、その入口附近で東航船と西航船の針路が交差し、横切り船の見合関係が推定される場合であるから、淡路島の北端をなるべく遠ざかつて航行し、平磯灯標の二五〇度二、一〇〇メートルの地点(東方行き推せん航路の右側0.2海里)へ進行し、その後二九〇度に航行するのが、予防法二九条にいう船員の常務として至当な航法であつたことが認められるのである。

被告は、原告側に予防法一九条違反があると主張する。しかし、前掲両鑑定結果によると、「狭い水道」においては、これに沿つて航行する船とこれを横断する船との間には、前者に同法二五条が適用されると同時に両者の間に一九条の適用があると解するけれども、本件の如く、双方ともこれに沿つて対面航行する場合に、一船が違法水域にあるため他船の前路を横切る態勢を示したとしても、その違法水域にあることはあくまで不本意な状態であり、特殊な状況と判断せざるをえないから、両者の間に一九条の適用はないと解すべきである(なお、本件の如くわん曲した水道においては、双方が適法水域にあつたも、横切り関係の外観を呈することがありうるが、この場合は、各船その進路を当然予測できるものであつて、衝突のおそれはなく、その関係は解消してしまうものであるから一九条の適用を生じない)。前掲乙一七号証中、右と異なる見解には賛成できない。従つて、被告の右主張は採用できない。仮に同条が本件に適用されるとしても、前に認定したとおり、新栄丸は右転して避譲しており、ビレオ号操縦者としては、同法二一条本文により針路を保持すべきであつて、同条但書の緊急避譲措置としての協力動作をするとしても、新栄丸が右転しているのであるから、その動静を注視し、右転すべきであつたのにもかからず左転したもので、ビレオ号が左転さえしなければ本件衝突事故は発生しなかつたものと認められるから、本件責任はビレオ号において負担すべきである。

次に、被告は新栄丸にも運航上の過失があつたと主張する。明石海峡には、被告主張のように岩屋港と明石港を結ぶフェリーボート等の定期航路その他これを横断する船舶もあることは、成立に争いのない乙一一・一二号証、弁論の全趣旨によつて十分認められるが、本件ビレオ号は横断ではなく通過すべく航行していたのであり、当審における原告一二本人の供述によると、新栄丸を操縦していた同原告は、ビレオ号を発見したときその位置から同船が海峡を通過すると判断したものであるし、他にも自己の進路を制約するような横断船等はなかつたことが認められる。それで、原告一二において、ビレオ号が航路筋の左側にあるとはいえ、その中央あるいは右側に向首していたのであるから、予防法二五条を遵守して違法側から適法側に進出するものと期待し、針路および速力を保持していたが、他船の方位が変らないまま約三〇〇メートルに接近したため、衝突の危険を避ける臨機の措置として右転したのは当然であつて、何らの過失もない。また、このとき同法二三条所定の減速停止等の措置をとらなかつたことも過失とはいえない。ただ、前に認定したとおり、原告一二は事故当時自ら見張りを兼ねて操舵に従事し、他に見張りを配置しなかつたことは、本件の如く夜間「狭い水道」を通過するにあたつては、同法二九条にいう適当な見張りを置いたものとはいえないし、また、右転するとき信号を行わなかつたことは同法二八条に違反したものといえるけれども、現実においては、原告一二は、四、五〇〇メートルの距離にビレオ号を発見し、引続きその動向に注意を払つていたことが認められるし、また、新栄丸が右転したときは彼我の距離約三〇〇メートルであつたが、ビレオ号はその直前既に左舵一杯をとつていた(その際、二短音の汽笛を発したが、その音は非常に小さく他船に聞えなかつたし、ビレオ号の橋灯と舷灯の位置が垂直線上にあつたため、転舵の兆が読みとりにくかつた)のであり、ビレオ号が左転しなければ本件衝突は発生しなかつたと認められるから、原告一二の右過失が本件衝突の原因をなしたとすることはできない。

従つて、原告一二の右過失をもつて、後記被告の賠償すべき損害額の算定にあたり、これを斟酌することもできない。

(5)  同一五枚目(二八九丁)表六行目に続けて次のとおり加える。

「なお、右(十四)と(十五)の支出について、被告は本件事故と因果関係がないと主張する。しかし、本件訴訟は、弁護士を委任することなく原告自身で遂行したのではその目的を達成することが極めて困難であつたものと認められるから、これを村井弁護士に委任したことにより要した費用は、本件事故と相当因果関係に立つ範囲内においてはこれを加害者の負担すべき損害と解するのが相当である。ところで、右甲五五号証によると、右(十四)の着手金一〇万円は、右海難審手続の補佐人となるとともに本件訴訟追行も含む事件解決に至るまでの手数料(但し、書類作成・訴訟記録謄写等の費用は別途必要の都度支払う約定)であり、右(十五)の一万三、六三〇円は右別途支払の海難審判記録の謄写および証拠写真撮影の費用であつたことが認められる。そして、右着手金一〇万円は、日本弁護士連合会および日本海事弁護士会の定める手数料の各基準がこれより上廻るものであることと本件訴訟における訴額・認容すべき額・事案の難易等に鑑みると、本件訴訟のみの手数料としても相当の額であり、また、右海難審判手続に補佐人を委任して応訴することも本件訴訟遂行上必要であつたものと認められる。よつて、右支出は、本件事故に起因し、これと相当因果関係の範囲内のものというべく、加害者はこれを賠償しなければならない」

(6) 同一六枚目(二九〇丁)表四行目の二字目から次行の一三字目まで、および、同一七枚目(二九一丁)表九行目最後の一字から同一一行目の二字目までをいずれも削除し、ここにかえていずれも次のとおり挿入する。

「前掲甲三一・三二号証、乙七・八号証と原審における原告両名本人の各供述によると、原告らが新栄丸沈没前若干の荷物を持出したことが認められるが、他方、これらは他人の依頼品や自己の衣類等の一部であつて、本訴においてはその他の持出せなかつた身廻り携帯品の損害のみを請求しているものと認められ」

二よつて原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。(乾久治 前田覚郎 新居康志)

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